世界文化遺産 斎場御嶽

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斎場御嶽とは

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斎場御嶽(せーふぁうたき)とは

斎場御嶽 碑石

御嶽(うたき)とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽(せーふぁうたき)は琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。また、琉球国王や聞得大君(きこえおおきみ)※1の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り(あがりうまーい)※2」の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。
御嶽の中には六つのイビ(神域)があります。琉球国王はこの六カ所を参拝しながら、国家繁栄・安寧、五穀豊穣、航海安全などを神に祈願しました。
はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島※3から特別に運び入れ、それを御嶽に敷きつめました。その祭事の中でも、最も大きな行事が、聞得大君(きこえおおきみ)の就任式である「御新下り(おあらうり)※4」でした。

用語解説

聞得大君(きこえおおきみ) ※1

聞得大君とは「最も名高い神女」という意味で、琉球の信仰における神女の最高位の呼称。琉球王国最高位の権力者である国王と王国全土を霊的に守護する存在とされた。そのため、国王の姉妹など王族の女性が任命された。
初代(1470年)から15代(1875年)までの400年余りにわたって、琉球王国の神事を担った。

東御廻り(あがりうまーい) ※2

琉球の創世神アマミキヨが住みついたと伝えられる聖地を巡拝する行事。
首里城から見て、大里・佐敷・知念・玉城を東四間切(あがりゆまじり)または東方(あがりかた)といったことから、この拝所巡礼を【東御廻り】と称した。

久高島(くだかじま) ※3

琉球王国時代から数々の神事が行われており、「神の島」と呼ばれる。琉球の創世神アマミキヨが天から降りて最初につくったとされており、五穀発祥の地ともされた。歴代の琉球王国は17世紀まで2年に1回、久高島参詣を欠かさなった。
12年に1度、午年(うまどし)に行われる神事・イザイホーに代表される神秘的な神事が行われていたため、民俗学的に貴重な島として注目されている。

御新下り(おあらうり) ※4

聞得大君が最高神職に就任する儀式。首里における儀式を終え、いくつかの要所を経て、知念間切(ちねんまぎり)にある斎場御嶽に入り、数々の儀式を執り行った。聞得大君は、聖水を額に付ける「御水撫で(うびぃなでぃ)」の儀式で神霊を授かり、神と同格になったといわれる。

世界遺産に登録された理由とは

斎場御嶽 石畳

世界文化遺産は、「地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物」であり、過去から現在へ引き継がれ、そして未来へと伝えていくべき大事な人類共通の遺産です。斎場御嶽は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、ほかの8つの遺産とともに2000年に登録されています。
世界文化遺産に登録された際の認定理由が以下の一文です。
「琉球地方では、各推薦資産において、自然崇拝的な信仰思想に基づく各種の宗教儀礼や祝祭が今日でも盛んに行なわれており、市民の生活や精神の中に資産が活用され、文化として生き続けている。」
ユネスコは、古来より行なわれてきた「祈り」の文化が、現在でも行なわれていることに世界遺産としての価値を認めました。
その価値とは、私たちが大自然に生かされていることへの「感謝の祈り」。
斎場御嶽が今に伝えるその精神文化は、世界中の人々が調和し、平和で豊かな未来を築くための大切なメッセージが息づいています。